昨年はビリ。

何とかしてやりたい。

でも、早起きは辛かった。

 

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サイトの解説
私は3人娘(10歳、4歳、2歳)の父親である。小4の娘は、運動が苦手で特にマラソンが嫌いである。毎年マラソン大会はビリ。そのせいか娘は自信がない。何かと「どうせやってもダメだから」と開き直る。そこで娘の特訓を自らやることにした。これは父と娘のマラソン特訓の記録である。

運動コンプレックス

【運動コンプレックスの影響】

 

「勉強しなさい!」と言う親は多いが、

049 (6).jpg「運動しなさい」と言う親は少ない。

子どもが成長するにつれて、親としては運動より勉強の成績が気になる。

徒競走でビリになった我が子には、「しょうがない」と言う親でも、勉強でビリになると「しょうがない」とは言わない。

「やればできる」と言って、なんとかしようとする。

 

でも実は、運動コンプレックスは、親が思っている以上に子どもの人格形成に大きな影響を与えることが多い。

運動コンプレックスがやっかいなのは、「運動コンプレックス」は運動でしか克服できないことだ。

親自身が勉強は努力、運動は素質と、どこかで思っているのではないだろうか。

だから、子どもは勉強が出来ない分には、「努力が足りなかったな。でも、やればできる」と思うことが出来る。

でも、運動が出来ないと「どうせ、やっても無理だから」と思ってしまう。

だから、勉強が出来ても足が遅い子はどこかで馬鹿にされる。

 

小学校において、足が速い子はヒーローである。

今の学校では、テストの点数は目に見える差がつかないし、順位も発表されない。

でも、かけっこはハッキリと順位が出る。

それだけに、子ども社会において運動ができるかどうかは大きな価値であり、その運動が出来ないことはコンプレックスになりやすい。

 

他者意識が芽生える小学生の時期に、子どもにとって大きな価値である「運動で劣る」ことは、子どもの心に「自信のなさ」を生む。

そして、なにか上手くいかないと「どうせ、やっても無理だから」となる。

運動が出来ない悔しさをバネにして勉強をがんばるとか、貧しさをバネにして勉強するとか、そういうケースは稀だ。

昔はあったのかもしれないが・・・。

 

今と昔は時代が違う。

昔は、大勢の子どもがいて、ガキ大将がいた。

先生に殴られたり、近所に怖いおじさんがいたり、何かと理不尽な思いもした。

私は戦後の貧しさは知らない世代だが、それでも今とは違った。

でも今は、豊かで便利だ。

物分かりがよい親に育てられ、他人から殴られることもない。

そんな次代に育った子どもたちにとって、悔しさをバネにして頑張ることは難しい。

それが多くの子どもたちを見てきた私の率直な感想だ。

 

話しは元に戻るが、本当に運動は素質なのだろうか。

我が子がカール・ルイスになれるとか、ウサイン・ボルトになれるとは思わない。

でも、小学校でそこそこ早く走れるくらいにはなれる。

勉強よりも、よほど簡単だ。